気まぐれ日記 04年12月
04年11月はここ
12月1日(水)「何やってんだか・・・の風さん」
会社の仕事では最近少々開き直り気味である(すごい婉曲的な言い回しだなーワケ分かんねえ〜)。
夕べは自分で治具図面をちゃちゃっと描いて(もちろん設計して、という意味)、今朝、それを設備設計の専門家のところへ持って行き、製作の打合せをした。すると、さすが、プロフェッショナル! さらに素晴らしい構想を教えてくれたので、再検討してからまた相談することになった。・・・つまり、部下に任せておけないので、自分でやってるという、落合監督のオレ流とは正反対の指揮官の行動をとっているのである。
夕方、本社で仕事を終えてから、床屋へ行き、少しサッパリし、またコンビニでミニカー付きの缶コーヒーを買おうとしたら、すべて売り切れていた。(くそっ)と舌打ちしつつ、もう少し先のコンビニへ行ってみたら、そこにはあった! うれしくて、また2缶買った。店の外へ出て、さあ帰ろうとミッシェルのライトをつけたら、店のウィンドウに映っているライトが片目だった。(あれれ?)というわけで降りてチェックしてみると、左のライトのバルブが切れている。それも下向きだけで、ハイビームにすると点灯する。ケータイで中古車屋に電話してみたら、「H4バルブはある」とのことだったので、20分かけて来た道を戻った。
ところが、中古車屋に着いてみると、「これはバルブ交換では済まない。レンズ一体式なので、取り寄せて交換になります」とのことだった。ガーン!
片目でも結構ミッシェルは明るく前方を照らしてくれるので、今夜はこのまま帰ることにして、品物が入ってから交換してもらうことに決めた。
そこから速攻で帰宅して、買ったばかりの缶コーヒーのおまけを、るんるんらんらん開封したら・・・、どちらもアルファードの黒だった。これで、アルファードの黒が3台に・・・。ついでに白も1台あるわい!
12月2日(木)「不死身の肉体・・・の風さん」
昨夜の就寝は結局午前2時を過ぎてしまった。そして、今朝は6時半より前に起きて出社。ついこの間までは考えられない睡眠時間だ。
そこそこ仕事もして、退社後、ミッシェルで40分ぐらい走って歯医者に行った。かかりつけの医者ということ。治療後、有料道路を突っ走って帰宅。すぐに着替えてトレーニングに行った。ほぼフルメニューをこなした。血圧は正常。体重は減ってなくて、肥満度がプラス0.5%、体脂肪率は19.4%だった。
昨日の万歩計は6367だったが、今日は、トレーニングの分だけ上積みもあって8883だった。
どうやら不死身の肉体に戻るのも遠くなさそうだ。ひっひっひ(なんじゃこれ?)。
12月3日(金)「不死身の肉体の上に認知症の頭脳・・・の風さん」
トレーニング効果もあり、夕べはぐっすりと眠れた。体力がつけば、目の前の困難など苦もなく撃破できるだろう。元気はつらつ飛び起きて、1日が始まった。
会社では、朝からめまぐるしく仕事をした。できるだけ自分で考え自分で行動するのが私の基本スタンスなので、体調がいいと仕事もはかどるし、ますます気分もよくなる。
午後いちばん、常務の対応をし、それが終わらないうちにミッシェルで本社へ移動し、某社と密かにミーティング。すぐに会長対応が控えているので、慌てまくっていたが、戦(いくさ)の前にはトイレを済ませておいた方が何かとリラックスできるので、近くのトイレに駆け込んだ。終えて手を洗い、ハンカチを探そうとズボンの右後ろポケットに手を突っ込んだが、ない。じゃあ、上着のポケットかと右や左に交互に手を突っ込んでみるものの、ない。それなら、やはりズボンだろうと、左横または左後ろのポケットに続けて手を突っ込んでみるものの、なかった。(くそ。ハンカチを忘れてきたのか)と悔しい結論を出して、ふと目の前の鏡を見たら、くわえている。いつものクセで、ハンカチを口にくわえているのだ。
肉体はトレーニングで不死身に近付けられそうだが、頭はアルツハイマーまっしぐらのようだ。
無事、会長対応もして、ようやく本日のビッグスケジュールが終了した。だいたい満足できる結果が得られた。
退社して、中古車屋へ行き、注文してあったヘッドランプを交換した。これで、やっと両目が開いた。片目で走れないことはないが、確かに両目だと明るい。
今日の万歩計は7638。けっこう歩いているな、想像していたより。
12月5日(日)「気合だ〜!・・・の風さん」
「気合だ〜!」というアニマル浜口の掛け声に合わせるように、とにかく肉体的に前向きに(どういう意味だ?)行動している。何をやるにしても基礎体力が重要だと認識して早1ヶ月、せっせとトレーニングに通う一方、体を使うことに積極的に取り組んでいるということだ。
昨日から今日午前にかけて低気圧が通過したため、空模様は不安定だった。
その、昨日の午前中、雨が降り出す前に町内会の仕事があった。自主防災訓練である。管轄の消防署から署員が来て消火器による消火訓練と、地元の消防団による放水訓練、そして炊き出しの実験である。防災意識が高まっているはずなのに参加者は少なかった。しかし、その分、体験できる確率が高くなり、それなりに成果があったと思われる。
午後は、買い物や会社の仕事などで忙しかった。雨が降り出した夜も、町内会の役員会が10時近くまであり、帰宅後は、2週間後の講演の準備を少しした。就寝する頃は暴風雨状態で、雨戸が連打されるような音でうるさかった。
すっかり雨も上がったので、今日もまた町内会の仕事をした。団地内には13ヶ所の掲示板があるのだが、傷んだ掲示板を新品に交換するのも私の担当なのだ。昨日のうちに新しい掲示板に白ペンキで名称を書き込んでおいたものを、うちのワゴン車に載せて出動した。
掲示板を立てる部分には鉄のパイプ(板厚は1.5ミリぐらいある)がコンクリートに埋め込んであり、そこに支柱を差し込む。円形のパイプの中で角材が回らないように、直径6ミリのボルトを貫通させるのだが、これをうちの電動ドリルで作業した。過去のいきなり6ミリのドリルで孔を明けようと難儀した経験を反映させて、今回は工夫した。まず、切削油代わりにCRC556を使用したことと、最初に直径3ミリの下孔を明けてから、4.5ミリ、5ミリ、5.5ミリそして6ミリと順次孔径を拡大することで切削抵抗を減らしたのである。この効果は絶大であった。いくらチタンコーティングしてあるドリルでも、家庭用電動ドリルでは、鉄に孔を明ける抵抗は無視できない。いきなり6ミリを明けるのに対し、3ミリでは、切削抵抗は4分の1になっている筈だし(切削抵抗は穴径の2乗に比例する筈)、以後も円環状に切削するだけでいいから、楽に明けられる道理である。それと、代用とはいえ切削油を加えたのも正解だった。会社の仕事(生産技術開発)が役に立った瞬間である。
夕方からトレーニングにも行った。11月5日から1週間と間をあけることなく通って、今日で10回目である。だいたい3〜4日に1回の割で行ったことになる。久しぶりにエアロバイク(自転車漕ぎ)をした。これは脚力と心肺能力に基づく総合体力が分かる。10月24日に測定して、ピーク時の70%に落ちていた体力が、84%まで復活していた。コンスタントに90%以上の数値が出るようになれば、体力的に自信がよみがえる。
12月7日(火)「天国と地獄・・・の風さん」
今日も、会社では会議を避けて現場で動き回るように心がけた。口先だけでは部下は動かない。
退社後、予定通り、トレーニングに出かけた。体の柔軟性は増さないし、体重も減るわけではないが、だんだんトレーニングに慣れてきている実感はある。着実に体力がついているのに違いない。トレーニング後、血圧正常、肥満度がまた増加してプラス0.7%、体脂肪率19.7%だった。
やっとありつけた夕食は、大きな生牡蠣である。殻付きで、レモンをたっぷり絞って食べた。白ワインもうまい。あとクリームシチューとガーリックトースト、ミニソーセージ。うーん。極楽である。
夕刊を広げたら、15歳の学力低下が報じられていた。数学的応用力が6位、読解力ときた日にゃ14位である。世界トップはお隣の韓国とITやキシリトール、サウナで有名な北欧の国フィンランド。勤勉が国民性の取り柄だったのに、勉強しないさせないしなくていい、では当然の転落結果であろう。
腰の万歩計は8703。
12月9日(木)「足もつるほど健康な会社生活・・・の風さん」
昨日は時の経過も忘れるほどの1日だった・・・というのは嘘。
昨日の朝出社時点で、昼に製作所内での食事会があることに気付いていた。ところが、それを再び思い出したのは、食堂で天ぷらそばを食べ終わり、胸のポケットのケータイが振動した直後だった。電話は留守電登録センターからだった(笑)。
仕出し弁当の待つ会議室へ直行した。
ボケ。単なるボケである。
遅い帰宅で、食事と入浴を終えた時点で、もう日付変更線をまたいでいた。
それから会社の仕事の続きを書斎で開始した。
午前2時半でいったん寝ることにしたが、やや気が昂(たかぶ)っていた。リキュールのお湯割を用意して、ベッドの中で中井貴一の『日記』の続きを読んだ。別世界の疑似体験をできるのが読書の楽しみだ。
それで、やっと今朝である。睡眠時間は4時間を切っているが、めまいはない。このまま出社してしまうと、また濁流に押し流されて、思うように自分のやることができない、と判断し、出社は昼頃と決めた。その旨、会社へ電話。
昼になり、家にある食べられそうな物を口に入れて出発。
・・・。
夕方、職場に社長を迎えて、会議と現場視察をしていただき、終わったのが午後6時である。
今年最後のヤマ場が終わった。
そのまま速攻で帰宅した。さすがに眠い。ミッシェルのハンドルを握る手に力がこもる。
今夜はトレーニングに行く予定だったが、中止して、夕食後、ソファでダウン。
テレビで「黒革の手帳」をやっている頃、一瞬、目が覚めた。
「痛っ〜!」
久しぶりに足がつった。
12月11日(土)「久美ちゃんからの電話に一瞬舞い上がったものの・・・の風さん」
金曜日の夜から職場の旅行に出かけた。愛知県の西浦温泉の某宿に一泊した。
ほとんどの者が宿からのマイクロバスに乗って行くし、片道1時間半は優にかかるので、私もカンパしてバスの中で酒盛りとなった。カンパした立場を利用して、エビスビールを用意するように圧力をかけたので、バスの中で350ml缶を2本も飲んでしまった。これは私の限界を超えている。
ま、とにかく、そういうご機嫌なバス旅行の真っ最中に、珍しい人から電話が入った。貴族の久美ちゃんである。どうやら貴族へ出勤する直前に電話してくれたようで、私の置かれた状況を話したら、「じゃ、後でゆっくり話せるようにまた電話する」とうれしいことを言って、切れた。
そう言えば、数日前にも珍しい人から電話が入った。小学館の編集者で、『和算忠臣蔵』の時にお世話になった方である。「ヒマだったんで、どうしてるかな、と思って電話したんですよ」と言うから、「ホントにヒマなんですか?」と聞くと、「両足を机の上に乗せて鼻毛抜いてるだけですから」と豪快な返事。結局、来週上京したときに会う約束をした。仕事につながるといいな、と思う。
旅行の方はと言うと、宿に着くなり大浴場に直行し、8時から10時まで大宴会となった。中心は飲み放題とカラオケで、うちの連中はけっこう歌が上手い。その間に部下が数人寄ってきたので、小説作法を解説してあげたら「へえ〜」とトリビア感心していた。やはり小説作法の本も出したいな。
かなり酔ってしまったが、部屋に戻ってから、首脳陣だけで仕事の打ち合わせ。ビールを飲みながらで、舌がもつれてしようがなかったが、まあまあ議論はし尽くすことができた・・・かな?
12時半に議論疲れで寝ることにしたが、とうとう久美ちゃんから電話はなかった。なーんだ、店に来るように誘うつもりが、愛知県のド田舎の温泉旅行中だったので、諦めたのかもしれない。
今朝は6時に起きてまた温泉に行った。夜明け前の入浴もなかなかいいが、何となく夜行バスで東京に着いたときの東京温泉みたいな感じもする。
風呂から戻って、ケータイでメールチェックしようとしたら、電波環境が劣悪なことが分かった。な、なんと信号レベルがほとんどゼロだ。これじゃ、久美ちゃんからの電話も入らないわけだ(チキショー)。
朝からごはん2杯の朝食を摂り、再びバスで昨夜の出発地である勤務先へ帰った。途中、爆睡。
帰宅途中で、ワイフが通うトールペインティング教室の、2年に1度の作品展を覗いてきた。毎回見学しているので何となく分かるのだが、教室全体のレベルがかなり上がってきたと思う。私もこの人たちのように旺盛に作品に取り組まねば、と気持ちを新たにすることができた。
12月12日(日)「咸臨丸子孫の会の忘年会・・・の風さん」
吉祥寺で咸臨丸子孫の会の忘年会があった。気まぐれの風が吹いたために、のこのこと出かけて行った。
18名もの参加があり、いつもながら家族的な雰囲気で、子孫でもない私も暖かく迎えてくれた。
今夜の料理は、わざわざ北海道江差町から参加された、開陽丸友の会の副会長が用意してくれた北海道の味だった。秋田に長い間住んでいた私は、北海道の海産物には馴染みがある。ホッケなどは何となく故郷の味だ。
また、幕末史研究会の会長も来られていて、咸臨丸が修理されたサンフランシスコのメーアアイランドの現状の写真などを見せてもらった。来年の子孫の会の旅行計画として、サンフランシスコに渡るらしい。ブルック大尉の子孫の方とも交流されるとのことで、活動が充実しているなあ、と感心した。できれば私も参加したいが、まあ、そのような余裕はないだろう。
2次会で近くのケーキショップに入り、コーヒーを飲んでから解散した。
四ツ谷のホテルに戻った私は、部屋にないので、ビジネスルームにアシュレイを持ち込んでLANケーブルをつなぎ、ブロードバンドでメールチェックしてから就寝した。
東京へ来る時の新幹線では、アシュレイを立ち上げて、今週末の講演のための準備をした。だんだん時間がなくなって、本当は焦っているのだ。
12月13日(月)「歩き回って万歩計が14860・・・の風さん」
予定通りの時刻に目覚めたが、何となく寒い。夕べスイッチを入れたエアコンを見たら、なんと「冷房」になっていた。
今日は、まず文京区シビックセンターへ行った。今週末の講演会場の下見をするためだ。東京ドーム「ビッグエッグ」が車窓から見えた。「後楽園」駅で降りたのは初めてである。そのドームの大きさに負けないほど、シビックセンターは大きかった。しかも高層ビル。
展示会場はゆったりしていて明るく、有名な和算書がゆっくりと見学できた。それから、今回の講演でお世話になるお茶の水女子大学の真島先生にお会いして、いろいろと下打合せをした。和算書の展示と記念講演の他にも実習会やフォーラムなど盛りだくさんで、ここまでこぎつけるのに、なかなかご苦労があったとのことである。
それから六本木へ移動した。蕎麦屋で軽く昼食にしたが、あまり上等な麺でなかった。
ここへ来た目的は、外務省の外交資料館での特別展示「日米関係のあけぼの:1852−1866」を見学することだ。『怒濤逆巻くも』の執筆のために幕末外交史もかなり勉強したが、実物史料をすべて見ているわけではない。「日米修好通商条約批准書交換証書」や木村摂津守が書いた「咸臨丸修理に関する感謝状」(ただしこれは複製)などが印象に残った。
続いて、東京駅へ戻り、小学館の編集者と3年ぶりに会った。とりとめのない話で盛り上がったが、来年が定年とのことで、何とか残りの期間でまた仕事をしたいと思った。
その後、会社の仕事もして、帰宅したのは11時半頃になってしまった。昨日の万歩計は8000ほどだったが、今日は14860である。重い荷物を持ってよく歩いたと思う。
12月15日(水)「この日、忠臣蔵は聞き逃せない・・・の風さん」
会社の仕事で川崎市のあたりまで行った。川崎市の称名寺には「紙本着色四十七士像」というのがある。私が講演で忠臣蔵の話をするときにいつも利用するものである。この時期はご開帳になるはずで、本当は取材に行くべきなのだろうが、サラリーマン作家はなかなか自由はきかない。
そもそも今日は新鷹会の勉強会の日である。しかも12月は恒例の忘年会がある。
しかし、今回は会社の仕事を優先した。この1年を象徴するような日だろう。だが、それもそろそろ終わりにしたい。いや、しなければならない。今から来年へ向けて、小説家として復活するのだ。
出張での仕事は5時半近くまでかかった。
元々明日も出張にして、今夜を東京でのプライベート時間にあてるつもりだったのだが、明日の出張がドタキャンとなり、それでも宙に浮いた今夜のスケジュールを決行するため、明日を有休にした。したがって、仕事が終われば、もう、私としては小説家として行動できる。
電車を乗り継いで、池袋演芸場へ急いだ。今夜は神田紅さんがトリで「義士伝」をやってくれるのだ。
夜の部は5時開演だが、入場したときは7時を回っていた。入場が遅かったせいだろう。料金が安かった。
お仲入り後の桂南なんの落語、東京ボーイズの歌謡漫談を楽しんで(老化現象のせいか、どうもエンタの達人より、こういったクラシックな芸の方が笑える)、いよいよ紅さんを迎える心の準備整った。周囲を見回すと、満員に近い。紅さんの集客力である。
博多どんたくのお囃子で登場〜。わー、紅さんだー! 懐かしさで胸が熱くなる(大袈裟な・・・)。
月曜から3日連続で義士伝を、第一段、第二段、第三段とやるのだそうだ。今日は「南部坂の別れ」。地元なら毎晩通わなければ、紅ファンとは言えないだろう。難しい講談の言い回しも、時代小説家だけに一言一句も聞き逃すことはない。しかも同時に時代考証やら分析もかけている(笑)。小説家の性(さが)か。
最後に踊りの披露もあって、舞台は神田紅さんで大きく光り輝いていた。私もいつしかウキウキした気分になっているから不思議だ。元気パワーを与えられたのだ。
終わって帰るとき、さすがファンを大切にする芸人、入り口のところで一人一人に声をかけておられた。私も挨拶し、ちゃっかり週末の講演のポスターも進呈した(笑)。しかし、近くで見ると、なんて可愛い人なのだろう。舞台ではあんなに大きく見えたのに・・・。また、鳴海風はとろけかけていた。
上の階での「打ち上げ」にも誘われたが、それは遠慮させていただいた。紅さんにまたポーっとなった私としては、とても恥ずかしくて同席できないし、何と言っても紅さんには私よりも大切にすべきファンがたくさんおられる。
ホテルへの道すがら、何となく胸の切なさを感じるのは、やはり紅さんに「ほの字」だからだろう。
12月16日(木)「心身共に飛躍への準備・・・の風さん」
昨夜は、1時半過ぎまでホテルで講演の準備をした。仕事ののろい私なので、当然、終わらない。
今朝は8時に起きて、軽い「めまい」と戦いつつ、午前中の用事はすべて中止して、のぞみで帰名した。車中では空いていたので講演の発表資料の作成をした。資料を読むだけと違い、大量のデータを加工するので、CPUを酷使し、名古屋が近付くころにはバッテリがなくなりかけた。
自宅に着いたのが午後1時である。
まだ空腹ではなかったので、トレーニングに出かけた。ほぼフルメニューをこなした。特に下半身を使う器具がきつくなくなってきている。やはり効果が出ているのだ。一方、上半身を使うメニューの中で、男性標準負荷を下回る荷重設定にしてあるものがある。バーチカルローイングとバタフライだ。これらの荷重設定が男性標準を上回れるようになれれば、ま、上半身、下半身ともバランスのとれた体ということになるのだろう。
終了後は、血圧正常、肥満度マイナス0.6%しかし体脂肪率は21%だった。体重は減りかけているが、まだまだ体の内部が絞られていない。
例年この時期になると新聞屋からお歳暮代わりに「高島暦」が配られる。占いを信じる私ではないが、ふと来年の運勢を見てみたら、信じたくなった。私は二黒土星(じこくどせい)で、「氷雪からの解放」とあった。各月の運勢も、航海にたとえられていて、色々なことがあろうとも、何とか目的地までたどり着けるようなことが書いてあった。ためしに昨年のをチェックしたら、「否運が底をつく・・・」とあったから、確かに今年はまだどん底だったわけだ。しかし、それも今年でおしまい。いよいよ来年からは上昇機運。紅さんからもらった元気パワーも合わせて、これから頑張るぞー!
12月18日(土)「学力低下を危惧する3講演者の巻」
昨夜も午前3時ころまで講演の準備をしていたが、100%やり切ることはできなかった。
今回のタイトルは「円周率と忠臣蔵」で、初めての演題である。題材は決まっていたが、中心となるテーマをどこに置くか、最後の最後まで決めかねていた。結局、最近また話題になった若者の理数ばなれや学力低下問題につなげた。
春の結婚記念日に何もできなかったので、今回はワイフとの旅行を兼ねた。旅行となると、何でも楽しみにしなければならない。まず、新幹線の車中で昼食になるようなスケジュールを組んであった。ところが、連夜の寝不足のために、どうにも眠くて冴えない行きの「のぞみ」車中となった。
ホテルでチェックイン後、文京区シビックセンターへ向かった。下見してあったので、寝惚けた頭脳でも問題なくたどりつけた。最初にワイフを展示場に案内したら、神田紅さんのファンの方がみえた。「紅さんの名代で参りました」といううれしいお言葉。しかも、『怒濤逆巻くも』を持参で、その場でサインを求められた(まさかのためにサイングッズを用意してあった風さんでした。えへん)。
講演会場に移動すると、既に金田(かなだ)康正先生が演台におられたので、挨拶もそこそこにパソコンのセットアップを促され、さっそくアシュレイを立ち上げた。
金田先生のお話は、1兆2千億桁の円周率の計算ができるまでと、今後の計算記録の予想といったものだったが、円周率計算の成果を「コンピューターのハードやソフトの発展を促したこと」と共に「心を豊かにすること」を強調されていた。
続く私の講演では、もう一つ、先生は「私という小説家を世の中に出せた」という成果をお忘れですよ、と述べたが、お忙しい金田先生は、そのとき、別室で来客対応中で、不在だった。
金田先生も、「1番と2番では難しさに雲泥の差がある。1%の努力の積み重ねが、やがて大きな効果につながる。勝つことだけが目的ではないが、わきまえた中での競争の効果は明らかにある」と主張されていた。また、3人目の佐藤健一先生の講演でも、最後に、やはり昨今の若者の学力低下に触れ、「会場にお集まりの方は、現職の方は少ないようだが、伝道者としては現役のはずだ。ぜひ和算の良さをヒントにしてほしい」と結ばれた。
結局、好きだから数学をやる、数学は本来楽しいもの、数学は文化なのだ、というメッセージを3人ともに発信した格好になった。
講演には、また咸臨丸子孫の会の方もみえたし、『怒濤逆巻くも』を読んで感銘を受けたという方から色紙にサインを求められたり、他にも持参いただいた拙著にサインをさせていただいたりした。また、私自身も金田先生が持参された「円周率11万桁を印刷したフィルム」にサインをしてもらった上で頂戴した。これは宝物である。
講演後、ホテル近くのパスタの店に夕食を食べに行ったが、私は疲労がたまっていてあまり食べられず、ワイフも体調不良のせいか「じんましん」が出て、さっさとホテルへ帰館した。
12月19日(日)「18358歩の風さんの巻」
旅行2日目は、お楽しみのディズニーシーである。しかし、昨日からの天気予報は雨模様である。
幸い、ワイフの「じんましん」は治ったようだ。
昨日までの疲労のために、早起きはできなかったが、現地に着いてみると、肌寒い天候のせいか、あふれかえるほどの人出ではなかった。ウェルカムセンターで、今夜の宿泊先のホテルMに仮チェックインをし、荷物も預けたので、すっかり身軽になり、心も軽くなった。
ディズニーシーは、ディズニーランドよりこっちがいいという私の希望で実現したものだったが、連日の超多忙生活のために、事前の勉強は全くできていなかった。施設内がどのような配置になっているのか、またどんなアトラクションが用意されていて、何が人気スポットなのか、全く予備知識がなかったのである。したがって、ディズニーシー内のガイドはワイフの役割。
船に乗って、「インディージョーンズ」のファストパスを手に入れに行った。混雑している時は、このファストパスがあっという間に売切れてしまう、と子供たちから脅されていたが、そういうことはなかった。待ち時間の間に、「海底2万マイル」を50分待ちで乗った。「海底2万マイル」は小学校の高学年の頃に映画でやっていた。私は修学旅行でプラモデルを手に入れて喜んだ記憶がある。
休憩時に餃子でビールを飲んだので、急に愉快になり、それから次々にアトラクションを見たり、買い物をしたり、飲んだり食ったりした。このところトレーニングをしっかりやっているので、体力にも自信があった。
夕方になってやっとホテルにチェックインし、休む間もなく再びディズニーシーへ戻り、水上ショーを見てから、コロンビア号でのディナーとなった。これは前もって時間予約してあったので、待っている行列を尻目に、窓際の席に案内してもらった。白ワインを注文して、コース料理に舌鼓を打ち始めたところまでは、昨夜と全く同じだったが、ついでにワイフが「じんましん」を発症したのも、昨夜と完璧に同じだった。ただし、今夜の方が重症。
夕食後に今日最後のアトラクションということで、「アラジンの魔法のランプ」を予定していたが、断念せざるを得なかった。結局、ホテルに戻り、連続ドラマ「夫婦」の最終回を見て、今夜もさっさと就寝することに・・・(とほほ)。
枕元に置いた万歩計、昨日は1万2千歩だったが、今日は、18358を示していた。船や電車を多用したせいか、意外と伸びなかった。しかし、足が痛い。「じんましん」ではないが、私の足もむくんでいた。
12月20日(月)「東北大人の本・・・の風さん」
ギリギリの12時にチェックアウトして、それからはどこにも寄り道せず帰名した。
「じんましん」明けのワイフも、18358歩の私も疲れていたのである。
帰宅したら、「東北大学生新聞」12月20日号が届いていた。編集部の予告通り、『円周率を計算した男』の書評が、「東北大人の本」というサブタイトルと一緒に掲載されていた。なかなか大きく取り上げてくれたので、もしかすると1冊くらい売れるかもしれない・・・じゃなくって、私の主張したいことがきちんと書かれてあり、とてもありがたかった。
今年も残りわずかだが、もう来年へつながる仕事は始まっている。楽しい趣味とは言え、会社の仕事で押しつぶされたのでは文化事業は何も成果を残さない。志を高く、意志を強く持って生きていかねばならない。そして、来年は、今年以上に開放感と充実感と達成感に満ちた年末旅行をしたいものだ。
12月21日(火)「年末の慌しさ・・・の風さん」
久しぶりに出社した気がした。小説家の感覚を失わないうちに早々と退社した(笑)。
今年も残りわずか。町の体育館も年末年始は休館するので、トレーニングに行けるときに行っておかねば。ということで、帰宅してから直行した。ひと通りこなした。トレーニング後の血圧はまあ正常。肥満度がまたアップしてプラス0.5%。しかし、体脂肪率はなぜか低下して、18%だった。年内に、あと1回はトレーニングに行きたい。
ディズニーシーから送った宅配の荷物が届いていた。中身は大量にあるが、自分の取り分はわずかである。1泊目のホテルでもらった記念品はノリタケのカップ2個で、けっこう気に入った。
今夜は年賀状を完成させるのが目標なので、書斎に籠もった。デザインは既に出来ている。誰に出すか、つまり何枚印刷するかが今夜の最大のポイントだ。最新の住所録(こまめに更新しているが、昨年よりまたリストが増えている。このままでは自分の脳ミソの記憶容量をオーバーするのはそれほど遠くない)を元に、昨年の実績と喪中を反映させた。これがけっこう時間がかかった。
アシュレイにプリンターをつないで印刷をしながら、執筆マシンでメールチェックと気まぐれ日記の更新をしている。やれやれ。いつもながらせわしないやっちゃ。
12月22日(水)「来年のカレンダー届く・・・の風さん」
今夜は帰宅が遅くなった。明日の専務報告のために自分で作らなければならない資料がたくさんあったからだ。家へ帰るためミッシェルのハンドルを握ると一瞬疲労が飛んでいく気分となる。そして、自分の運転技量に合ったマシンを思い通りに操っていくと、さらに爽快な気分になっていく。
帰宅したら、ネット予約注文してあった来年のカレンダーがやっと届いていた。井川遥のカレンダーだ。本当はZhang Ziyiのカレンダーが欲しくて、アメリカのヤフーまで検索しまくったのだが、ハリウッド関連にも見つからなかった。昨年もなかなか欲しいのが見つからず、ハセキョーを注文したのだが、ワイフのプレゼントとダブってしまい、2個同じ物が手に入ってしまった。ところが、写真が9年前のものを使用しており、騙された、と唇を噛んだものである。そこへ行くと、今年の井川遥は、大アップが含まれていて、まあまあ満足のいく写真だった。
明後日、出版社と打ち合わせる予定なので、寝る前にその準備を少しした。
12月23日(木)「ワイヤレス・カメラ付きドアホンの巻」
朝からすごい冷え込みで、一日中会社で震えていた。私はこれを「老人性寒い寒い症」と呼ぶ。
昨日、我が家に新たな秘密兵器が装備された。カメラ付きのドアホンである。なーんだ、そんなの昔からあるじゃないか、と言われるだろうが、我が家にとってはようやくついた強力セキュリティ設備である。
カメラ付きなので、当然、内部から訪問者の人相・風体をチェックできる。昨今、声だけで油断してドアを開けたらいきなり凶器を突きつけられたなどということが起きる。「宅配で〜す」とか「書留で〜す」「クリーニングで〜す」などと言われたら、誰だって信じてドアを開けてしまう。
今回装備したドアホンにはまだ他に特殊機能がある。ビデオ撮影ができることや、応答する声を加工できること、さらにこれがスグレモノなのだが、ワイヤレスの子機があって、その子機にもモニターがついていて、我が家で言えば、庭にあるログキャビン内でも玄関の訪問者の人相・風体がチェックでき応答できることだ。
明日、東京で出版社との打合せを予定していたが、先方の都合で年明けに延期することになってしまった。ちょっと残念だが、まだまだ自分の気力は衰えていない。
12月27日(月)「数日ぶりに帰宅したらまた新刊が届いていた・・・の風さん」
週末と週明けに東京出張が入ったので、土日は福島県の両親宅でたまっている仕事をあれこれと片付けようと、アシュレイ持参で出かけていた。
思っていたことの半分はこなすことができたが、金曜日の夜に風邪をひいてしまい、ちょっとつらかった。
久しぶりに帰宅してみたら、郵便物がどさどさっと届いていた。
その中に、やはり知人の新刊が含まれていて、来年こそは、と覚悟を新たにした。
で、その新刊とは、鈴木輝一郎著『巴御前』(角川書店 1800円税別)と楠木誠一郎著『大泥棒は名探偵』(講談社青い鳥文庫 670円税別)である。
『巴御前』は、一見、来年の大河ドラマの周辺を狙ったものかと思ったが、必ずしもそうではないらしい。輝一郎さん流の愛と葛藤のドラマが展開されているようだ。それと、今回の本は装丁が村上豊氏で、実に品がある。遅くなっても輝一郎さんの本は読んでいるので、楽しみだ。
『大泥棒は名探偵』は名探偵シリーズというかタイムスリップの連作で、うちの次女が毎回楽しみにしているものだ。今回はタイトル通り、ねずみ小僧が登場する。しかし、泥棒が名探偵とは・・・確かにそうか・・・犯罪者は犯罪者を知る・・・のかもしれない。すぐに次女が読破してしまうだろうから、後で感想を聞いてみよう。
12月28日(火)「無駄な抵抗、未読メール崩し・・・の風さん」
さすがに福島県よりも暖かい。朝晩も外でも、ずっと体がよく動く。
明日から会社の冬期休暇に入る。今日は、あえてデスクワークに徹して、ひたすら未読メールの積み木崩しをやった。朝出社した時点で、9月1日以降の未読メールが2700通以上もあった。それらを、最近受信したものからせっせと読みながら、処置したり返信したり転送したりしているうちにお昼になった。その時点で全然埒が明かなかったので、9月いっぱいの未読メールはすべて削除した(あはは)。
午後も頑張った。目が痛くなったがそれでも頑張った。とうとう夕方になってしまい、フレックスで帰宅する人は、「よいお年を〜」なんて満面の笑顔で去っていく。とうとう未読メール崩しを断念した。その時点で10月1日以降の未読メールが2400通以上残っていた・・・が、もう知ーらない。会社の仕事なんてこんなもんだ。重要なものから順番に取り組んでいくので、そうでもないものが残る。残ったものは、それほど重要でも緊急でもないのだ(開き直り〜)。ついでに、私は社内の掲示板というものを、1年を通して1回も見ない。掲示板には、昔、紙で回覧されてきた社内情報や全社通達が掲示されているのだが、知らなくてもそれほど困ることはないのだ。
こんな調子なので、静かな社内でも私にはよく電話がかかってくる。「どうせメール読まないでしょ?」「ビンゴ!」そういった挨拶から電話が始まる。
帰宅途中にあるレンタルビデオショップで5本も借り込んで、家へ帰ってきた。
またまた楠木誠一郎さんの新刊が届いていた。『吸血鬼あらわる!』(ジャイブ 760円税別)である。中に挿画があり、また振り仮名も多く、少年少女に読みやすくなっている。
12月31日(金)「今年を象徴するような大晦日・・・の風さん」
昨夜から原稿に着手している。今朝もその続きに入ったのだが、物語の舞台になっている江戸のある場所の地理がよく分かっていないことに気付き、徹底的に調べ出した。何しろ、書斎は図書館みたいなものだから、資料には事欠かない。しかし、断片的な資料をつなぎ合わせて、200年ほど以前の当時の実態に迫るのは容易なことではない。また、凝り性の性格が足を引っ張って、どうしても作業がのろくなる。次第に、頭痛までしてきた。
夕食後、とうとう今夜の作業を中断する決意をした。それから、今回の執筆関連のデータをすべてMOに保存し、ひと安心したところで、手紙を1本書いた。
それでもう除夜の鐘が鳴るのも目前なのだから、ほんとに自分は何やってんだか・・・と思ってしまう。
今年1年間を象徴するような大晦日の夜だった。
来年は、もう少し効率よく仕事しよう・・・と毎年どころか毎日反省と決意を繰り返している。やれやれ。
05年1月はここ
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